足利義輝は室町幕府14代将軍です。室町幕府が衰退し、下剋上の世へと移る中でも幕府に再興に尽力した人物です。そんな足利義輝の雑学をまとめました。
※所説あるものや逸話が含まれます。
足利義輝の雑学
剣豪将軍
足利義輝は「剣豪将軍」と呼ばれるほど剣術に秀でていました。
日本最強の剣士とも言われる塚原卜伝(つかはら ぼくでん)に師事し、奥義を授けられたという逸話も残っています。
キリスト宣教師のルイス・フロイスの著書の中にも義輝の剣術の技量の高さを賞賛する記述が存在しています。
和歌の才能
義輝は武芸だけでなく、和歌にも優れた才能を発揮しました。
多くの歌を詠み、その才能は周囲からも高く評価されていました。
特に戦乱の世を嘆き、平和を願う歌は、彼の心情をよく表しています。
領国経営への意欲
義輝は将軍として、室町幕府の権威回復と領国経営に強い意欲を持っていました。
領内の安定化や経済の発展に尽力し、その手腕を発揮しました。
しかし、戦乱の世においては、その理想はなかなか実現しませんでした。
織田信長との関係
義輝は織田信長と深い親交がありました。
信長は義輝の才能を高く評価し、義輝を支援しました。
しかし、義輝の死後、信長は室町幕府を滅ぼし、天下統一へと向かいます。
壮絶な最期
義輝は1565年、三好三人衆と松永久秀によって二条御所で暗殺されました。
剣豪として知られた義輝は、畳に数本の刀剣を突き立て、刃こぼれする度に新しい刀剣を手に取り奮戦したと伝えられています。
最期まで武士として戦い抜いた義輝の姿は、多くの人々に感銘を与えました。
足利義輝の年表
- 1536年:足利義晴の子として生まれる
- 1546年:元服し、父から将軍職を譲られる
- 1549年:江口の戦いで父と共に都を離れる
- 1550年:父・足利義晴が死去
- 1552年:三好長慶と和睦し、都に戻る
- 1553年:三好長慶との和睦を破棄し、再び都を離れる
- 1558年:三好長慶と和睦し、再び都に戻る
- 1565年:三好三人衆と松永久秀によって暗殺される